2010.08.19
17年前、別府羽室台高校に強面のスカウトマンが来てから俺の人生は変わった。
ヤクザの勧誘かと噂になるほどの強面のスカウトマン・・・その名は田中九寿男(故人)。
球界では『くすさん』の愛称で慕われ、情の深い優しい人。
甲子園にも出ていない、ましてや高校三年時には公式戦で一勝も出来なかった自分に高評価を与え、
何度も何度も学校へ足を運んでくれた「くすさん」がいなければ今の自分はいない。
(勿論、当時のスカウト部長、監督、フロントのバックアップがあって始めてドラフト指名となるのだが)
幸せな事に・・・そんなどこの馬の骨かわからない自分に数球団が興味を示してくれた。
その中でマリーンズだけが内野手として取りたいと言った。
一試合で15も、16も四球を出すノーコンピッチャーの自分に、
内野手なんて務まるわけがないとマリーンズからの指名をお断りしたのを覚えている。
そんな俺を説得すべく「くすさん」は何度も学校にきた。
終いには
『できないできないと最初から諦めている奴はプロでは成功しない!
プロ野球界を俺が変えてやる!というぐらいの気構えでないと大成しないぞ!』
と説教する始末(笑)
当時のドラフトはウェーバー制。前年のチーム成績が悪い順番から指名が始まる。当時のマリーンズは最下位。
セ・リーグのチームが日本一になったこともあり、パ・リーグ最下位のチームからドラフト3位以下の指名が始まる。
簡単に言えば3位以下はマリーンズから優先に指名していけるということ。
松井かずお、金子誠、福浦和也・・・などを差し置いて俺が一番最初に指名された。
今思えば何かの間違いだったのかもしれないが(笑)
くすさんや当時の関係者の方々の後押しのおかげでドラフト3位でマリーンズとの縁が結ばれた。
田中九寿男が一歩目を歩ましてくれたなら・・・
二歩目、三歩目と・・・振り返れば八木沢さん、ボビー、江尻さん、近藤さん、山本さん、ボビー、西村さんと、
歴代の監督、ならびに当時のフロント、コーチ、先輩・後輩の方々には大変感謝しています。
特に・・・無償の愛を下さったファンのみんなには感謝念がつきません。
皆さん17年間本当にありがとうございました!!
幸い自分はコーチとして第二の人生を歩めます。
第二の人生の「第一歩」を歩まして下さる球団、監督、コーチ、全ての関係者の方々に感謝いたします。
ファンの皆さんにはこれまでと同じように熱い応援をよろしくお願いいたしますね(^^)。
P、S
今日の試合後の『GOGO大塚明!』本当にありがとう!
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